江戸時代の庶民のお菓子「駄」菓子


江戸時代の庶民のお菓子「駄」菓子
「駄菓子」という言葉はなじみ深いものですが、駄菓子と聞いて思い浮かべるお菓子って、年代によってすごく違いがありますよね。歴史的に明確な区別も確立されていないので、それぞれを伝えるのはなかなか難しいです。
家飲みのおつまみや子供には変わらず人気のコンビニで買う現代の駄菓子。ラムネやヨーグルトなどのカラフルでポップなパッケージの戦後のイメージ。ドロップやキャラメルに代表されるレトロでおしゃれな明治・大正から戦前・戦中のイメージ。そして、白砂糖を使うことを禁止されていた江戸時代の庶民のお菓子である駄菓子。
今回は、駄菓子の語源にもなったといわれるこの江戸時代の庶民のお菓子に注目してみました。

 

白砂糖は許可が必要
江戸幕府以前文化の中心は京都であり、その頃盛んになった茶道に伴い練り羊羹や餅菓子、生菓子や干菓子と発展し、献上菓子の意味で“上菓子” という言葉で呼ばれていました。
江戸時代に入り文化の中心は江戸に移りましたが、江戸庶民は京都からの伝来物を “下りもの” として喜び,菓子類も同様に「京菓子」と呼ばれ人気を得ました。
時代が進むと江戸でも饅頭や羊羹という京都伝来の菓子を作り始め、今までの雑穀類や水飴を練って作っていた「雑菓子」とは区別されるようになります。「高級菓子=京菓子、”上菓子”」に対称的な意味で、「庶民のお菓子=雑菓子、”駄菓子”」とよばれたようです。
さらに砂糖の使用制限で、白砂糖は上菓子屋だけに使用が許されことから大きな違いが生まれたと推察されます。黒砂糖やザラメだけしか許されなかった”駄菓子”ですが、それにより製造技術が工夫され”上菓子”に劣らぬ美味なものができ,その心意気を含めていっそう江戸庶民に愛好されたに違いありません。

 

呼び名はいろいろ
黒糖・きなこ・もち米・麦粉・豆・ごまなどを材料に、調べられた限りでは麦こがし・ねじりおこし・みじん棒・豆板・芋ようかん・鉄砲玉・べっこう飴・げんこつ飴・にっけい飴・きな粉飴・かるめ焼き・かりんとう・塩せんべい・あんこ玉などが作られていた名前として残っています。同じようなものでも時代や地方によって呼び名は違っていたようです。
腹持ちのいい間食や携帯食として愛用されたものも多く、伊達藩が参勤交代や戦のとき用にとつくっていた仙台の糒(ほしいい)は、仙台駄菓子として今もその名を残しています。
現代では賞味期限や特徴を際立たせるため各社工夫を凝らしていますが、元々はとても簡単な材料と手順ですので、自分で作ってみるのも楽しそうです。

 

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